ミッドな夜にミッドなトークをお届けするミッドナイトトーク。
ネット放送局「ユニミックス」の番組、ミッドナイトトークは、こちらのブログの日記がベースになっています。
真実を追究していくことがミッドナイトトークのテーマです。
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新年を向かえ大阪、十三テハンノは12周年を迎える。
昨年末から新しい店長M氏が着任し、店を回している。
思えば実にあっという間の12年だったと思う。
開店当初は、中学時代の同級生やその頃交流のあった友人などがあれやこれやと手伝ってくれ、開店から数ヶ月で採算が取れるに至った。
当時は今のような生活環境では無く、全くの自由人で親の介護をすることもなく、家に帰れば特に待ってくれる人がいるわけでもなく、夜中には愛車の自転車で路上でライブをやっているミュージシャンを追っかけて、気に入った人がいれば、ライブ出演の依頼をし、少し寝たかと思えば、ほとんどがお手製の店内ディスプレイをし、夕方からはライブのためのリハーサル・・・と寝る時間が惜しくて、常に動き回っていたことを思い出します。
そんな開店から2年程が過ぎ、突然大阪を離れる状況となり、思い出のつまった店をどうしようかという時に、今の現店長とその奥さんが店を受けてくれるようになった。しかし、二人に子供ができ、継続することが難しくなった時に、テハンノで最も長きにわたって店長として大役を果たしたA氏の登板となりました。
本心を言えば、テハンノでやりたいことがあった。そのやりたいことが出来ないという寂しい思いがあったが、自分がオーナーという立場であっても、任せている以上、その時々の店長に自由にやってもらいたいという気持ちがあったので、おおよそ完全に任せていた。
ただし、東京に居ようが、外国に居ようが、常に開店当初からテハンノのホームページの更新は誰も出来ずに、僕がやっていました。それもやってくれるようにとは頼んでいましたが、結局最後まで誰も出来ずじまいでした。これも結構大変な仕事なんですよ。
その彼もおおよそ2年ほど前に、退任することとなり、再び僕のほうに店長役が回ってきました。
今度こそ、自分のやりたいことを自由にと思ったのだが、現実はそうではなかった。
5年ほど前から親の介護をするようになり、身動きできずにいる自分に気付いた。
店を回していくための段取りは分かっている。しかし、動けないのだ。
ライブをするためのブッキングも出来ない。ブッキングをしたのは良いが、今度はリハーサルの時間と親がデイサービスから帰ってくる時間とが重なり、リハーサルもあれば、家に親が帰ってくる。
家から店まで親を自転車の後ろに乗せて、一人で飛ばせば7分くらいで行ける距離が15分。
そうこうしているうちに2年が過ぎ、特に昨年に入ってからは、店の家賃を払うことが難しくなってきた。
しかしその間の2年も多くの人が助けてくれた。新米店長のN氏。そして全権大使と僕が呼んでいたM氏。それ以外にも色んな場面で多くの人が助けてくれた。
そんな折、テハンノ店長2代目だったM氏が再び登板することになり、もう数ヶ月が過ぎました。
今回はホームページのことも完全に任せての店長となりました。
なぜ、こんな話をしているのかというと、人は自分ひとりでは何も出来ないということなのです。
これは弱音を言っているのではなく、本当にそうなのです。
もう20年以上は経過した韓国語講座。当初は韓国語教育院という名前で大々的に、それからワールドファミリークラブという名前で、そして今はネットだけで講座や時折通訳・翻訳などを手がけている。
韓国語版の日本語ジャーナルは、7年間一度も休むことなくドラマで学ぶ日本語という原稿を書き続けて来ました。
普段は自分が何をしているかということは殆ど誰にも話したりしません。
ユニミックスというネット放送局も当初の目的を失うこともなく今現在も続けています。
テハンノも始めた目的があります。
テハンノも経営できない人間が地球村プロジェクトなど出来るわけがないという人がいます。
何をふざけたことをいうのかと思っています。
水道管が破裂した。冷蔵庫がおかしい。製氷機が動かない。電機が落ちた。そんな時には電話が掛かってきて時間に関係なく店に足を運び、またある時は、今月売上げが厳しいというので、人件費削減のため店に入ってあげたりと・・・。まだ僕の人生は終っていません。
出来たか出来なかったかは、人生を終える時に初めて答えが出るものです。
この12周年というのは僕の力ではなく、みんなのお陰だと思っています。
それは何もスタッフだけではなく、お店に出演してくれた人たち。お店にお客として来てくれた人たち。
他にももっと色んなことで協力してくれている人たちのお陰です。
自分で何かを成したと自慢する人がいるが、日本を代表する松下幸之助さんであってもそれは同じです。その時々の仲間があり、日本国民があったればこそだと言えるのです。
当然、周りに人が集まるのはその人の人間性もあります。
しかし、自分でやったんだということほど傲慢なことはないと思います。
そして、更に言いたい。僕はこれからも自分に出来ることなら最大限、人の力になっていきたい。
そして知らないところで助けられてるだろうし、助けを求める時もあると思います。
テハンノも守れない人間に地球村プロジェクトなど出来ないという人に対しても、僕はやれると言います。
しかし、どんな時にも一人では出来ないということも言いたい。
もし僕自身、一人でやれるのか!という言葉を言われたとしたら、はっきりと一人では出来ないと断言するだろう。
昨年末から新しい店長M氏が着任し、店を回している。
思えば実にあっという間の12年だったと思う。
開店当初は、中学時代の同級生やその頃交流のあった友人などがあれやこれやと手伝ってくれ、開店から数ヶ月で採算が取れるに至った。
当時は今のような生活環境では無く、全くの自由人で親の介護をすることもなく、家に帰れば特に待ってくれる人がいるわけでもなく、夜中には愛車の自転車で路上でライブをやっているミュージシャンを追っかけて、気に入った人がいれば、ライブ出演の依頼をし、少し寝たかと思えば、ほとんどがお手製の店内ディスプレイをし、夕方からはライブのためのリハーサル・・・と寝る時間が惜しくて、常に動き回っていたことを思い出します。
そんな開店から2年程が過ぎ、突然大阪を離れる状況となり、思い出のつまった店をどうしようかという時に、今の現店長とその奥さんが店を受けてくれるようになった。しかし、二人に子供ができ、継続することが難しくなった時に、テハンノで最も長きにわたって店長として大役を果たしたA氏の登板となりました。
本心を言えば、テハンノでやりたいことがあった。そのやりたいことが出来ないという寂しい思いがあったが、自分がオーナーという立場であっても、任せている以上、その時々の店長に自由にやってもらいたいという気持ちがあったので、おおよそ完全に任せていた。
ただし、東京に居ようが、外国に居ようが、常に開店当初からテハンノのホームページの更新は誰も出来ずに、僕がやっていました。それもやってくれるようにとは頼んでいましたが、結局最後まで誰も出来ずじまいでした。これも結構大変な仕事なんですよ。
その彼もおおよそ2年ほど前に、退任することとなり、再び僕のほうに店長役が回ってきました。
今度こそ、自分のやりたいことを自由にと思ったのだが、現実はそうではなかった。
5年ほど前から親の介護をするようになり、身動きできずにいる自分に気付いた。
店を回していくための段取りは分かっている。しかし、動けないのだ。
ライブをするためのブッキングも出来ない。ブッキングをしたのは良いが、今度はリハーサルの時間と親がデイサービスから帰ってくる時間とが重なり、リハーサルもあれば、家に親が帰ってくる。
家から店まで親を自転車の後ろに乗せて、一人で飛ばせば7分くらいで行ける距離が15分。
そうこうしているうちに2年が過ぎ、特に昨年に入ってからは、店の家賃を払うことが難しくなってきた。
しかしその間の2年も多くの人が助けてくれた。新米店長のN氏。そして全権大使と僕が呼んでいたM氏。それ以外にも色んな場面で多くの人が助けてくれた。
そんな折、テハンノ店長2代目だったM氏が再び登板することになり、もう数ヶ月が過ぎました。
今回はホームページのことも完全に任せての店長となりました。
なぜ、こんな話をしているのかというと、人は自分ひとりでは何も出来ないということなのです。
これは弱音を言っているのではなく、本当にそうなのです。
もう20年以上は経過した韓国語講座。当初は韓国語教育院という名前で大々的に、それからワールドファミリークラブという名前で、そして今はネットだけで講座や時折通訳・翻訳などを手がけている。
韓国語版の日本語ジャーナルは、7年間一度も休むことなくドラマで学ぶ日本語という原稿を書き続けて来ました。
普段は自分が何をしているかということは殆ど誰にも話したりしません。
ユニミックスというネット放送局も当初の目的を失うこともなく今現在も続けています。
テハンノも始めた目的があります。
テハンノも経営できない人間が地球村プロジェクトなど出来るわけがないという人がいます。
何をふざけたことをいうのかと思っています。
水道管が破裂した。冷蔵庫がおかしい。製氷機が動かない。電機が落ちた。そんな時には電話が掛かってきて時間に関係なく店に足を運び、またある時は、今月売上げが厳しいというので、人件費削減のため店に入ってあげたりと・・・。まだ僕の人生は終っていません。
出来たか出来なかったかは、人生を終える時に初めて答えが出るものです。
この12周年というのは僕の力ではなく、みんなのお陰だと思っています。
それは何もスタッフだけではなく、お店に出演してくれた人たち。お店にお客として来てくれた人たち。
他にももっと色んなことで協力してくれている人たちのお陰です。
自分で何かを成したと自慢する人がいるが、日本を代表する松下幸之助さんであってもそれは同じです。その時々の仲間があり、日本国民があったればこそだと言えるのです。
当然、周りに人が集まるのはその人の人間性もあります。
しかし、自分でやったんだということほど傲慢なことはないと思います。
そして、更に言いたい。僕はこれからも自分に出来ることなら最大限、人の力になっていきたい。
そして知らないところで助けられてるだろうし、助けを求める時もあると思います。
テハンノも守れない人間に地球村プロジェクトなど出来ないという人に対しても、僕はやれると言います。
しかし、どんな時にも一人では出来ないということも言いたい。
もし僕自身、一人でやれるのか!という言葉を言われたとしたら、はっきりと一人では出来ないと断言するだろう。
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無題
夢は叶いますよ。必ず。その道を信じて貫いていれば。。時々僕は不思議な夢を見るんですけどね。一番印象的だったのは天照大神が現れたことです。その夢を見た時、正直厳しさを感じました。ただ「自分の信じた道を貫けば絶対に大丈夫。必ずやり遂げろ。必ず叶う。」というイメージも感じました。大丈夫です。人類に未来はあります。僕自身にも未来はあります。レニーさんのやりたいことも、必ず信じて貫いていれば叶います。訳あって陰ながらの応援のになるかも知れませんが、お互いに本当に正しい夢へ道へ進みましょうね。
Re:無題
コメント有難うございます。
どこまでやれるか?僕には分かりません。自信も今はまだないです。結構挫けそうな日々です。
でも駄目だとはまだ思っていません。だから前を見つめています。今はそれだけかもしれません。
有難うございます。
どこまでやれるか?僕には分かりません。自信も今はまだないです。結構挫けそうな日々です。
でも駄目だとはまだ思っていません。だから前を見つめています。今はそれだけかもしれません。
有難うございます。
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男性
職業:
ジャーナリスト
趣味:
ボランティア
自己紹介:
自称「ジャーナリスト」
ネット放送局「ユニミックス」にてDJをしています。
番組名「ミッドナイトトーク」
ミッドな夜にミッドな気分で聞いていただけると嬉しいです。
ネット放送局「ユニミックス」にてDJをしています。
番組名「ミッドナイトトーク」
ミッドな夜にミッドな気分で聞いていただけると嬉しいです。
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