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ミッドな夜にミッドなトークをお届けするミッドナイトトーク。 ネット放送局「ユニミックス」の番組、ミッドナイトトークは、こちらのブログの日記がベースになっています。 真実を追究していくことがミッドナイトトークのテーマです。
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●イエスのキリスト教からパウロのキリスト教への変貌
キリスト教の黎明期、ペテロを中心にした弟子たちの共同生活で始まり、次第に信者を増やしていったが、信者の大半はガラリアの下層民だった。 その後、信者を拡大するためにパン(財)が必要になり、異邦人伝道によって資金カンパを獲得するという策に出る。

改革派ヘレニストと呼ばれる一派で、その先頭に立ったのがパウロ。全財産を放棄しなくとも信者になれるものとして、金持ちや有力者に教会の扉を開いた。ここから、世界宗教への道が開かれた。

●3世紀に及ぶ迫害を経て、ローマ帝国の国教に発展
33年:キリスト死去
64年:ネロ帝によるキリスト教徒迫害が始まる
313年:コンスタンチヌス帝によるキリスト教公認
391年:ローマ帝国の国教になる

パレスチナからローマに伝わった当初は、入信したのは下層民だったが、ローマが国際都市になり、ギリシア文化が流行するとともに、キリスト教は知識層に食い込み、上流階級に広がった。 コンスタンチヌス帝の政策転換は、異教徒の擁護者であった元老院を押さえるために、新興勢力になったキリスト教徒の力を利用しようとしたからといわれている。

●ヨーロッパの多神教(ケルトや古代ゲルマン)の征服
ローマを制覇したキリスト教はさらに西ヨーロッパに向けて進出。 修道士たちが尖兵となり、ケルトの聖職者(ドルイド)の権威を失墜させ、根絶やしにしていった。
また、古代ゲルマンの神々の多くを悪魔に仕立てて制覇していった。

●キリスト教の尖兵=修道院の拡大戦略
教会の拡大にとともに、世俗化、異教との集合化が進み始めた、その歯止めのために修道院が設立された。 東方系の修道院は世俗を避けて清貧、禁欲に徹したが、西方系は万事中庸の精神が重んじられた。
修道士の労働や定住、学問が奨励され、社会的活動にも目を向けられた。
修道士の知的修養はキリスト教の理論武装に役立ち、異教、異端に対するイデオロギー研究所・キリスト教宣教の前衛部隊でもあった。(日本に宣教に来たイエズス会の修道士たちもこの流れを汲むもの)

●十字軍はローマ・カトリック教会による大バクチ
1095年、教皇ウルバヌス二世により、聖地エルサレム奪回の「聖戦」の呼びかけ。
表向きは聖地の奪回とされたが、ビザンチン帝国支援を餌にした教会の再統一、土地にありつけない騎士階級の次・三男対策、11世紀以降の農業革命に伴う人口増加のはけ口、などの裏の理由があったと言われている。

●免罪符の濫発~宗教改革
1075年、グレゴリウス7世の教会改革 聖職者売買の禁止と聖職者妻帯の禁止という目的があった。(つまり、公然とそれらがなされていたということ)
グレゴリウス7世の代にドイツ皇帝をひざまずかせた「カノッサの屈辱」があり、ローマ教皇の絶対主義体制が確立。
しかし、パウロ以来のローマ教会の金権体質はその後ますます強まった。
教皇が権力を振るった資金源は、無制限に増加した聖職売買で、枢機卿の任命からささいな恩恵や認可に至るまで一切を支配したとされている。
聖職者の個人資産、聖職者禄の初年度献上金、聖職禄授与承認料、肩衣受領謝礼金のほか、特権、特恵文書の授与、聖職禄叙任、空位聖職禄留保などについて手数料が支払われた。
さらにこれらについて裏金も積まれた。
免罪符の発行は、はじめは十字軍への参加とか聖地巡礼などが附帯条件とされたが、それも無くなり、カネさへ払えばどんな罪も赦されることになった。
免罪符売買がルターの宗教改革のきっかけになったが、宗教改革にも裏があったという。

上記のローマ教会による集金体制を、わが教会、わが領国の自由にしたいという思惑がヨーロッパ各地の教会や領主、商人たちの中にあった。 ※以上、「世界六大宗教の盛衰と謎」大澤正道著、を参考に抜粋。

●国際商業金融国家はカルタゴとユダヤの滅亡により消滅、ローマ帝国という異なる価値観を基礎とする国家内に国際商業金融家として存在するようになった ローマ帝国内におけるキリスト教とユダヤ教の布教活動は、国際商業金融家が、そこでより自由な活動を求めるための精神活動だと思っています。(キリスト教はフェニキアやユダヤの国際派に、ユダヤ教はユダヤの民族派によって担われたと思っています。

ローマのミトラ教的宗教は、近代的価値観にそれぞれの伝統的地域価値観が呑み込まれたように、それらに打ち勝つことができなかったのでしょう) (リンク)

●1096~1249年 十字軍遠征
・8世紀以降、窮地に立たされたのが東ローマ帝国であった。東からは新興のイスラム勢力(セルジューク・トルコ)によって脅かされ、一方、11世紀になると農業生産力を基盤に、西ヨーロッパが力を蓄えて膨張してきたから。
しかも1054年以降は、「正統と異端」をめぐって東西のキリスト教教会が分裂(東ローマ帝国にギリシア正教が成立)し、西ヨーロッパとの不和は深まっていた。
このような情勢の中、東ローマ帝国の復興を目論んだ皇帝が、ローマ教皇に支援を要請する。

・東方のキリスト教に対する優位を確立し、自らの勢力を拡大しようという野望を持つローマ教皇が、東ローマ帝国の支援要請を受けイェルサレム奪還を呼び掛け、十字軍を組織した。 (リンク)

以上の情報を踏まえると、次のようなポイントがあげられます。

●ローマ教会(バチカン)とは、パウロの時代から既に侵略・金権体質の存在であった。

●古代からの商人・金貸し勢力がローマ教会の後ろ盾となり、16世紀の宗教改革(プロテスタント革命)でもその後ろ盾になっていったとみなせる。

●15世紀の大航海時代には、スペインなどの国王勢力の海外侵略部隊と手を組み、尖兵としてローマ教会・修道士(イエズス会など)が活躍した。 バチカン(ローマ教会)とは、ロスチャなどの近代以降の国際金融勢力が登場する以前から、欧州王家・貴族階級と対抗しながら、ときには連係しながら、勢力拡大・海外侵略を指向した金権勢力であったと言えそうです。


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